人間にしか出来ない仕事はあるの?

あったとして,そういう仕事は残るの?

2023年4月26日(水)

Back to Welcome to AKI's HOME Page
Back to AI についての考察いろいろ

昨今の AI の急速な進歩の中,

AI によって人間の仕事は奪われていく.しかし, 人間にしかできない仕事,があり そういうものは残る創造性を必要とするものや 人間への細心の心遣いが必要と されるものだ.そういうものは,機械では実現できない.
という論調がある.

細かいところは論者によっていろいろ違うと思うが,

と言った主張だと思う.

それで,今回の考察は,「本当にそうだろうか?」という,上の主張への疑問である.

私は,基本的に,残ると保証される仕事は無いと思う.上の主張は2つの点で考察が不十分な 気がする.

  1. 人間の感覚はマクロ
    機械は進歩していき,人間の感覚はマクロなので,ついには人間の感覚にとって大した違いがないレベルまで到達する可能性がある

  2. 価値判断の基準が人間という暗黙の仮定
    人間の微妙な感受性を満たすことが高く評価されるのは,人間がボスであり続けるという仮定が入っている.

本当は,もう一つ,

  1. 発想らしきものの実現はそれほど難しくない
    少なくとも,現代の発想は,組み合わせと,ちょっとしたランダムネスで実現できる

ということがあるが,これはほぼ当たり前の話で,上のような論者が知らないだけか,故意に 無視しているかだけなので,以下,特に説明する気にもなれない.「発想らしきもの」と書いたが, 「発想」か「発想らしきもの」かは区別できない.

最初にあげた2つについて,もう少し詳しく説明する.

まず,「人間の感覚はマクロ」についてだが,人間はそれほど,細かな違いを感じ取ることができない. 例えば,歌を考えてみる.私が大学を卒業したころ,レコードから CD に変わって,「CD はデジタだから 聞いていて滑らかさがない」とかいう人もいたが,大部分の人は,この デジタル音楽を受け入れて行った. 人に寄っては耳が良い人もいると思うので,本当に,「かくかくと」聞こえる人もいるのかもしれないが, それはサンプリング周波数をあげていくと,あるところで区別がつかなくなると思う.

AI のサービスもそうだと思う.現時点では人間と違うのが明確でなんとなく違和感を感じるのかもしれないが, データからの学習やそのほか人間らしさを出す工夫をしていけば,あるところで, 人間のマクロな感覚では 区別がつかなくなる時が来ると思う.ある領域ではそのような時代に達していて, その領域が広がっていくのは時間の問題だろう.

次に,「価値判断の基準が人間という暗黙の仮定」について述べる.こういう価値判断の基準を考えるのは サービスを受ける側が人間であるからである.そして,なんで,人間を価値判断の基準にするかというと, 人間がこの世界の支配者だからである.だから,人間の評価が大きいものがありがたいものなのである.

しかし,人間が支配者であるという仮定は,今,揺らぎ始めているのだと思う.私は,一足飛びに, 「AI が意識をもって支配者になる」と言っている訳では無い(そういう未来もあり得るとは思うが).

今後,10年間での社会での競争は,AI を駆使できたものが勝者になるだろう.AI はうまく使えば,生産性や 創造性を 10倍に上げる.そういう能力に 10倍の差がある場合,能力の低いものには勝ち目がない. そうやって,「人間+AI」の組が社会の勝ち組になっていき,今までの人間だけのやり方に固執していたものや AI を使いこなせないものは脱落していくだろう.

そうなってくると,客層が変わってくるのである.今までは,人間に好まれるサービスを提供すれば 儲かったものが,今後,「人間+AI」のペアに好まれるサービス,あるいは,都合の良いサービスを提供することが 重要になってくる.もちろん,第一に人間に好まれないといけないので,今までと急に大きく変わることは ないと思うが,「人間+AI」は,日常の色々な判断においても,AI の判断を聞いていると思う.そうすると, 判断に論理性というかある種の合理性が入ってくる訳である.人間だけなら,非合理な価値判断も まかり通るかもしれないが,サービスを受ける側は,AI により,合理的な評価を行い,それが最も 高いものを選ぶといった行動にでることも多いだろう.今の,インターネットでの店の口コミの評価システムと 似たようなものである.それが,AI による評価に置き換わる訳である.

このような評価の観点が変わってくると,今の,人間を最終的な判断基準として,それが達成されないことをもって能力が足りないという見方は変わっていく.別に,人間の微妙な感覚を満たすことが求めることでは 無くなってきて,AI による合理的な価値判断が入ってくる訳である.

ということで,「人間にしか出来ないことがある」ので,そういう仕事はなくならないと考えているのは 甘いのではないだろうか.必ずしも,人間による価値判断が最高のものではなく,将来は,それは捨てて, 新たな AI が作り出した価値観のものが求められることもあり得るのである.

「人間にしか出来ないことがある」という主張をしている人たちは,「人間があくまで上」と考えたい人最後の砦としてあげているだけという感じをうける.

「猿の惑星」という映画があるが,その最初の 作品で,オラウータンが

主人公の人間が,猿たちの聖典に何と書いてあるかを尋ねて,それに答えられないことを持って,人間は考える能力を持たないと断言する
場面があるが,ほぼ,「人間にしか出来ないことがある」という主張は,それと同じような印象を受ける. 正確には機械は人間では無いので,人間の感覚を正確に感じることはできないかもしれないが, それは当たり前だし,それを感じることが重要なのは人間が完全な支配者である間だけであり, そうで無くなれば重要性は減ってくる.

また,AI が進歩して,人間を凌駕しても,人間の仕事が残る例として,囲碁,将棋.チェスの例を あげる人がいる.それらは,すでに AI が人間に勝ち始めているのだが,人間は,AI を使ってさらに それらのゲームの戦略を研究し,以前より高度な試合ができるようになって,再度,人気がでていると.

しかし,これは,まだ,人間と AI の差がそれほど無いからではないだろうか? もし, AI の方がうんと強くなって,人間のプレイヤーはどんなプロでも,児戯のようなものになって しまったらどうだろう? 人間のプレイヤーが手を指した瞬間に観客は AI でそれを評価して, それがまったくつまらない手か,あるいは,せいぜい良くても,AI が求めた最善手に今のところ 一致しているくらいの手しか打てなくなったとしたら.「人間+AI」の観客はそのような試合を面白いとは 思わないのではないだろうか? 打った瞬間に,児戯のつまらない手と分かる手が続けば, 例え,生身ではプロは自分たちよりはるかに上でも,馬鹿にして見る気がなるくなるではないかと思う.

たぶん,そういう時代になったら,プレイヤーは,「AI + 人間」として,AI を駆使したとしても 白熱した試合になるようなことを観客は望むのではないだろうか?

このように考えていくと,人間だけで行う仕事は残らないような気がするのだが.


Back to AI についての考察いろいろ
Back to Welcome to AKI's HOME Page